表情もなく、その一言でした。
思っていたのとは違う反応に固まるわたしをよそに、母は弟を抱く祖母のほうに歩を進め、そして祖母から弟を文字通り奪おうとしました。
“弟がとられる”。
直感でそう思ったのでしょう。
わたしは母の足にしがみつき、
「やめて!○○をとらんで!」
と叫びました。
しかし所詮4歳女児です。
母が足を振ると、撥ね飛ばされました。
そして、恋しかった、大好きだった母から、忘れられない一言をもらいました。
「あんたいらない!邪魔やからどいて!」
これが2番目の修羅場です。
そこからの記憶はありません。
いつの間にか、わたしの生活から弟はいなくなっていました。
しかし不思議なもので、いなくなっても何一つ生活は変わりませんでした。
まるで最初から弟がいなかったような生活です。
祖父母はもちろん親戚も誰一人、弟について話す人はいませんでした。
たまに身内ではない人から「一人っ子?」と聞かれるときだけは、少し困りました。
事情を話すのは何だか良くない気がするし…と毎度困り、その度に母に言われた言葉を思い出し悲しくなり、「わたしはいらないこども」と心が重くなったのは、2.5番目の修羅場と言ったところでしょうか。
その修羅場は父にも、そしていつも傍にいてくれて愛してくれた祖父母にも、言えませんでした。
それからまた時が流れ10年後、わたしが15歳のときです。
ある日単身赴任から帰った父から、神妙な顔で問われました。
「お前、お母さんや弟に会いたいか?」
思いもよらない言葉でした。
それまで親子であっても母や弟の話をすることはなく、当時のことを話題にするのはなんとなくタブーでした。
わたしも聞かないし、父も誰も話さない。
そんな中、10年ぶりに上った母と弟の話題。
“会いたいか?”との質問。
わたしが答えられないでいると、いつもはハートマン軍曹のように恐ろしかった父が、下を向いて話始めました。
母は不倫の挙げ句に失踪したこと。
失踪した段階では離婚をしなかったこと。(むしろ捜索願いを出していたこと)
弟を奪いにきたことをきっかけに不倫の末の逃亡と判明し、離婚を決意したこと。
しかし親権で揉め、裁判になったこと。
父は姉弟ともの親権を要求、母の主張は一貫して
「長男(弟)を寄越せ、娘はやる」
というものだったこと。
最終的には娘(わたし)は父、弟は母になったこと。