どこでもドアが欲しかった

失踪した母が1年後現れたが、近づく私を母は「邪魔」とひと言…

time 2016/11/17

失踪した母が1年後現れたが、近づく私を母は「邪魔」とひと言…

不倫のことは、何となく気付いていました。
そうじゃなければ、徹底して誰も話題にしないのは変ですから。

「お前は覚えてないかもしれないけど、俺が帰ったら家の中になぁんもなくてなぁ…」
「…覚えてるよ」
記憶に残る捨てられた日の室内の様子や、窓から見えた風景を父に話しました。
弟が連れ去られた日のことも。
「3歳とか4歳とかのころのことなのに、よく覚えてるんだな」
少し笑う父でしたが、笑いながら、二人で泣きました。
しかし、母から言われた“いらない”の言葉は、言えませんでした。

わたしは父に、会いたいと答えました。
大好きだった弟に会いたいのは勿論、母に対してこのときはまだ少し希望を持っていたように思います。
どうしてもの事情があって、わたしを捨てたのだと。
その事情が知りたい、と。

そして15歳の夏、父の単身赴任先で、母に会いました。
駅前に停めた車の中で、父と一緒に、母と弟を待ちました。
少し時間に遅れて現れた母に、わたしは驚愕しました。
顔はあべ○江さんに似ていたと思います。
しかし服装は、きつめのパーマがかかった茶髪、豹柄のインナーにジャケット、皮製のテラテラしたミニスカートに編みタイツ、品のない光り方をするパンプス。
今思えば、アメリカの映画に出てくる売○婦まんまの見た目です。
勝手に山を開拓して家庭菜園を越えた畑を作っていたり、未だにお風呂が薪をくべて沸かすタイプだったり、猿が間違えて室内にいたり、鶏をペットに飼っていたりするようなド田舎育ちのわたし。
テレビ以外でそんな服装をする人間を見たことがありません。
また、そんな女性と一緒に現れた弟の服装も、再会の場にはそぐわないものでした。
なんと野球のユニフォーム一式、バットとグローブ所持。
野球部の遠征かな?と思いました。
とにかく想像を絶するというか想定外の服装で現れた二人に、わたしは何も言えませんでした。(ちなみに父は40代一般的なありふれた服装、わたしも一般的なありふれたワンピース)
その後、父の運転する車で、父の単身赴任先の官舎に向かいました。
わたしも官舎を訪れるのは初めてでしたが、到着して見た風景は、あの日彼女がわたしたち捨てた部屋から見ていた風景でした。

部屋に入ると彼女は
「材料あるの?ご飯作るよ。○○(弟)はお父さんと外でキャッチボールしておいで」
と言い始めました。
つまりわたしと彼女は二人きりになる。
嫌で嫌でたまりませんでした。
父に助けを求めようと目で合図をするも通じることなく、10年ぶりの再会から1時間後、わたしと彼女は二人きりにされました。

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