私の両親は絶対に褒めてくれない人だった。
幼稚園のときに初めて逆上がりができたとき
「将来に役立つ事でもないのに褒めるようなことか?」と言われた。
運動会で1等を取れば、「周りが遅かっただけ」と突き放された。
小学生になれば、周りの家庭が羨ましくなっていた。
友達はテストの点数が90点でも褒められるんだもの。
私は100点を取っても「100点なんて取って当たり前、褒めるようなことではない」と褒めてもらえず。
小学校時代はなんとか親の気を惹きたくて様々な分野で頑張りまくった。
席書コンクールで金賞を撮り、作文が市の小さな冊子に載り、マラソン大会では上位五位以内に入賞。
これら全て褒めてもらっていない。「褒めれば調子に乗るし」と言うだけ。
私が小二のときに妹が産まれた。
この妹、私とは相反してベタベタ甘々に育てられた。
両親の絵を描いただけで褒められ、逆上がりができて褒美を与えられるほど褒められていた。
妹はおせじにも出来が良いとは言えず、二桁の足し算も苦労していたのに納得できなった。
妹が小1、私が中3の頃。
妹は大変問題児となり運動会出場を嫌がった。
両親は甘い声で宥めながら妹を説得するが、妹はギャン泣き。
私は何を甘えてんだとイライラしながらその様子を見ていた。
妹はなんとか学校に向かったが徒競走に出たあと再びギャン泣きしたらしく、残りは見学。
家に帰ってきて運動会に出たくなかった理由を聞く両親。
妹は「家でゲームをしていたかった」と答えた。
両親はそんな馬鹿馬鹿しい理由を聞いても「徒競走に出ただけでも偉い!」 と褒めていた。
私はそこでプチンと何かが切れた。
気がついたら妹は床に倒れて気を失い、私は母に取り押さえられていた。父は逃亡。
私は妹をぶん殴っていた。妹は脳震盪だけで済んだが
完全に私を恐怖の対象として見るようになった。
両親は私を完全に見放した。
私は父方の祖父母に押し付け、25歳になるまで一度も会いにこなかった。
祖父母は優しかった。どんな細かな事も褒めてくれた。
私は頭を撫でて貰えるだけでポロポロ溢れてきた。
その後…