昔から私の母は私のことを国語の教科書に出てくる品行方正な委員長みたいな扱いをしてた。
髪の毛は伸ばしておさげ、服装はブラウスにスカートに白い靴下、コートも無地の落ち着いたもの。
筆記用具は実用性のあるものでキャラクターものはなし。
皆がバトル鉛筆にはまっている中私はトンボ鉛筆。
女の子たちはカラーペンのコレクションをやりだしたけど、私が与えられたのは蛍光マーカーと赤ボールペン。
母親は学校からの書類にきちんと目をとおすし、保護者記入欄はきっちり書く人だったけど、参観日や運動会や発表会には来なかったし、お弁当も作ってもらったことがなかったからコンビニのお弁当を持たされていた。
夏休みなどの長期休暇は家でお留守番を命じられたし、その際に時間を潰すために与えられたのは学習ドリルと勉強教材のビデオだった。
私は知らないところでストレスが溜まっていって、セイリが中1の春頃に始まったものの、中2の春には気づけば止まっていた。
三ヶ月くらいこなくておかしいと気づいた。
誰にも相談できず、きっと母なら助けになってくれると、正直に
「お母さん、セイリがきてないの」
と伝えた。
すると…