私は凄く貧しい家に生まれた。
平成の時代だと言うのに、テレビさえない時もあった。
簡単に想像できる、誰もが口々に言う貧乏を集結させたのが我が家だった。
貧乏を脱出するには教育だと、母は私を身分不相応に塾へ行かせた。
父は笑っちゃうほど貧乏にありがちのパチソコ狂いで酒乱だった
特に負けた日は、小学生が勉強をしているのが生意気だと理由をこじつけては私を殴った。
父の母親であり、私の祖母は、一人息子が孫を殴る姿に「立派になって」と喜んだ。
そうやって、肯定ばかりされ、ひたすら甘やかされて育てられた父は、すぐに仕事を辞めてしまう。
そんな父に代わって、母は朝は新聞配達と夕方はレジ打ちとほとんど家に居ず、働いていた。
母が帰ってくるのが待ち遠しかった。
帰ってくると、私の布団に入ってくる。私は嘘寝して母を布団の中で待った。
「いい子だね」と必ず頭を撫でてくれて、くすぐったい気持ちになるこの瞬間が、1日で一番幸せだったからだ。
時々、母を喜ばせたくて内職のゴム人形の色付けをした。しかしこれは母を怒らせてしまった。
「ばっか!!なんで勉強しないでこんな事したんだ!!」
「こんな田舎から出て東京行ってと言ってるべ!!」と。
そんな母を一番喜ばせる出来事が起きた。
中学生になった私は、片道2時間の小さな田舎学校だけど学期末テストで学年3位になった。
母が踊るように喜ぶので本腰を入れて毎日勉強をした。
行き帰りのバスの中でも勉強をした。
そして中学3年生になると、私は先生に東京の高校で寮があり、特待生になりたいと進路希望を伝えた。
私の希望と言うよりは、母の強い希望でもある。
そして家の経済状況を知っていた先生は
「学力は水準に達してる申し分ない。けど推薦を取るには押しが足りない。 英語のスピーチコンクールに出てみようか」
など、私の力強い味方になってくれた。
そして中学3年生の一学期の学期末でとうとう学年1位になった。
順位表を片手に、まずは塾の先生に自慢しに行った。誉めてくれた。そしてその場にいた友達も喜んでくれた。
気を良くした私は、最終のバスまでついつい長居をしてしまった。
家に電話がないので、母が私より先に帰って来たら心配かけてしまうと気持ちが焦った。
最終のバスを待っているより、自転車で帰った方が早いと、塾長の息子さんに自転車を借りて帰った。
夜の20時を過ぎ、夏とは言え、街灯の少ない道は暗く肌寒かった。
片道10kmの距離。順調に行けば21時30までには着くはずと力一杯ペダルを漕いだ。
家まで後少しってとこだった。背中に激痛が走った。
後ろから笑い声が聞こえる。
小石みたいな何かが幾度と後ろから投げつけられた。
私は恐怖で益々必死にペダルを漕ぐが、いとも簡単に後方から来た自転車は私と並んだ。
すると、今度は足で自転車を蹴り私は自転車ごと倒れ地面に頭を打った。
男の人が私を見下ろした。
21時を回っても私が帰らないのを心配した母は警察に捜索願いを出していた。
父は「家は貧乏って知れわたってるから誘拐なんかされねーよ」と言っていたんだろう。
母のお陰で近所を巡回していた警察に私は保護された。
外傷もなく自転車で転けて気が動転していたと嘘をついた私は直ぐに家に帰された。
そんな私を見て父は
「ほら見ろ、誘拐どころか怪我さえしてねーよ。してりゃ慰謝料請求してやんのに」
とニタニタ笑った。
私は母に
「ごめんなさい。嬉しいことがあってこんな時間まで友達と遊んでたの」
と順位表を渡した。
母の笑顔を見て気が緩んだのか泣いてしまった。
「嬉し泣きだから」と言っても母は納得してくれなかった。
「あのね、お巡りさんがね、近くに不信な男の人が居たって言うんだけど関係ないよね?」
心配かけたくないと我慢してたのに、母私は、その男の人から蹴られて痴漢にあった事を正直に話してしまった。
母は私を抱き締めて「大丈夫、大丈夫」と慰めてくれればくれるほど、積を切ったように「私が何か悪いことしたのかな」
「今まで辛いことばかりだったのになんで?もうやだ、死にたい」と吐き出しながら泣いた。
その日の夜中、隣で母が私の頭を撫でてるので目が覚めた。母の心地よい手の感触に癒されるように目をつむっていると
母が「起きちゃった?」
と私に話しかけた。
「うん」と少し気まずく返事をすると母は手を止めて私を抱き締めた。
「一緒に死のうか」
母は私にこう囁いた。
「死ぬの?どうやって?」
私は恐る恐る聞いた。母の肩は震えていた。泣いているみたいだった。
「一緒に高いとこから・・・・・・・・・ごめんね辛い目にばかりごめんね。
一緒にだから恐くないからね」
どんなに辛い事があっても、絶対に死ぬなんて言わなかった母は本気なのだと分かった。
今まで生きていても良かった事より辛かった事の方が多かったし、この先もそうなんだろうなって思ったけど
「生きたい」って本能なのか、欲求なのか、私は怖じ気づいてしまい
「やめよう~。私は大丈夫だからさ。生きようよ~。」
と母をなだめる形で事なき得た。
その後…