どこでもドアが欲しかった

医者『お母様は末期癌です』20歳私(弟は施設に入るのか…?)→私「母さんは初期の膵臓癌だよ」弟「わかった」→結果…

time 2019/01/20

医者『お母様は末期癌です』20歳私(弟は施設に入るのか…?)→私「母さんは初期の膵臓癌だよ」弟「わかった」→結果…

元々は両親、2つ上の兄、5つ下の弟の5人家族。 

母はのんびりおっとりした優しい人。
父は仕事では真面目だけど、家に帰って来てからはたくさん遊んでくれる人。
きょうだい3人仲良くて、まあまあ普通の家族だった。

私が中3の夏、父が仕事を辞めた。
父は決めたらとことんするタイプ。

辞める前から、異動してきた上司とウマが合わず、父が前の上司とずっと前から計画していたことは何もさせてもらえない状況になったという話を聞いていた。

だから突発的にカッとなって意地になって辞めたようなもんだと思っていた。

またすぐに新しい職場を探すと思っていた。
だけど父は何ヶ月経っても求職せず、パチや競馬場に通い詰めていた。
母や兄が職安に行くよう言うと無視をする。

私達が思っていた以上に意地になっているんだ、でもそのうち次の職を探すだろう、今ぐらい休ませてあげようと私は思っていた。

母1人のパート代で5人が生活するという状況。
どんどん両親の会話は無くなり、父が帰宅すると母は不機嫌な表情。

兄も苛立ちから父の顔を見ると舌打ちをする。
弟は母や兄の様子を見て、一緒になって父を悪者扱い。

私は父がなぜ仕事をしないのか疑問を抱きながらも、自分の高校受験のことで頭がいっぱいで特に何も考えていなかった。

その年の冬、試験期間であった私はお昼前に帰宅する。
近所に住む幼馴染と、母が置いてくれているお昼ご飯を予想しながら帰っていた。

平日のお昼前、いつもなら父はパチへ出かけているため車はない。
ところがこの日は父の車が駐車場にあった。

今日はまだ眠ってるのか、午後から行くのかなと思いながら玄関を開けた。

家に入ると、物音はしない。
ああ、眠ってるんだ。と思った。

父が亡くなっていた。
一瞬何が起きてるのか分からなかった。
お父さんなにしてるの?声に出して言った。
当然返事は無くて、すぐに救急車を呼んだ。

なぜかすごく落ち着いて
丁寧に話せていた気がする。

そのあと母、兄へ電話するとお昼休憩や休み時間だったのですぐに繋がり、母はすぐに帰ってきた。
兄は数時間後に帰ってきた。

救急車は5分程で来た。
その時点でまだ母は帰宅しておらず、救急隊員は中3の子ども相手に気まずそうに、
「警察の人も呼ぶね」
と言った。

私は、お父さは目覚めないんだと分かった。

救急隊員は気を使って学校のことなど、世間話を振ってくれた。
聞かれたことだけ答えている間に母が帰宅し、混乱状態。

警察の車に乗せられ、改めて自ら亡くなったに間違いないと言われた。

母は泣きじゃくって疲れてぼーっとしていた。
兄と弟はワンワン泣いていた。
私は2人の背中を無言でさすっていた。
我慢しているわけでもないのに涙が出なかった。

他の3人に
「もう仕方ないよ。お父さんが1番辛くて悩んでたんだよ。誰も悪くないよ」
とか必死になぐさめようとしていた。

母の立ち直りは意外と早く、父の他界から2週間後にはパート復帰した。
私や兄、弟もなんとか学校へ通っていた。

無事に高校受験も終わり、少しずつ以前のような和気あいあいとした雰囲気が家族に戻ってきた。

高2の夏、兄が亡くなった。
バイク事故だった。

兄が亡くなってからしばらくの間、私は家であまり眠れなくなった。

私が目を離した隙に2人が亡くなるかもしれない、突然呼吸が止まるかもしれないという不安があった。

母と弟が家にいると、2人が起きていても眠っていてもそういったことが不安で、うたた寝程度しかできなかった。

でもなぜか学校へ行くと、不安はあるものの思う存分眠ることができた。
だから早めに登校して朝の会まで眠ってた。
授業中も、バレない体勢でよく眠ってた。

周りの友達がバレないように協力してくれたことにとても感謝している。

高3になる頃には睡眠リズムは安定していた。
家でもよく眠れるようになり、学校で眠る時間が無くなった分、クラスメートとの関わりも増えてすごく楽しかった。

弟は中学生になり、難しい思春期に突入。
母や私に反抗するようになってきた。
父の他界について考えるようになっていた。

母が買い物に行っている間、私が自室にいると、リビングで父が撮った映像を観ながら泣いていることもあった。

私は就職するか進学するか悩んでいた。
経済面を考えれば就職することが現実的だった。

でも私は幼い頃から憧れの保育士にどうしてもなりたかった。

母へ相談したら、進学を勧められることは分かりきっていたので、あえて弟に相談した。

まだ中1の弟に面白半分で相談してみたが、弟は真剣な表情で、
「迷ってるってことは保育士なりたいってことだよ。お金のことは後からなんとかなるでしょ。お母さんのパート代だけでここまで育ったし。」
と言った。
弟の成長に感動した。

私は奨学金を借りて短大へ進むことに決めた。
推薦の基準をクリアしていて簡単に入れて、入学金も免除でラッキーだった。

放課後や休日はバイトに時間を費やしたくさん貯金した。

短大生活も充実していた。
成績上位者の学費半額免除枠もゲットし、母も弟もすごく喜んでくれた。

弟の中二病はそれほど酷くなかった。
コーヒーはアメリカンというこだわりを持ち始めたぐらいだった。

短大2年生の夏、就職先が決まった。
嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

すぐに内定通知書を仏壇に置いて、初めてお線香をあげた。

実はそれまでもそれからもお線香をあげれていない。
お線香をあげる=他界を認める だった。

私はまだまだ2人の他界を受け止めきれていない。
でもその時はどうしてもその喜びを伝えたくて、お線香10本ぐらいあげた。

お母さんにあげすぎって怒られた。
けど私のその姿を見てお母さんは嬉しかったみたい。涙目になってた。

私は就職を機に1人暮らしを始めようと考えていた。
母と弟も賛成してくれた。

職場からすぐ近く実家から1時間程の場所へ、バイト先の知り合いをツテに物件を探してもらっていた。

弟は受験生。受験を控え、ピリピリとしながらも中学生特有の難しさは無くなり、落ち着いてきていた。

母も時々父や兄を思い出し、涙することもあるが徐々に昔のような能天気な母に戻ってきていた。
天然が炸裂してこっちがイライラするほど。

弟の卒業式の日は私はもう春休み。
バイトはシフトを外してもらい、母と一緒に参加した。

名前を呼ばれ、しっかりとした声で返事する弟を見て、逞しくなったなあと思いながらビデオを構えていた。

退場の時、目が合って照れ臭そうに笑っていた。
教室での最後のホームルームでは一人ひとりスピーチがあった。
みんな親へ感謝の言葉を言っていた。

当然、弟は母と私へ言葉を
くれるのかと思っていたが違った。

「お父さん、お兄ちゃんありがとう。3年間楽しかったw2人からたくさんのことを学んで、メンタル強くなりました。悩んだ時に2人を思い出すと、悩みの小ささを実感して、頑張ろうって思えたよ。お母さんと姉ちゃんにはこれからもすがる予定なので特に何も言いません。」
みたいな感じだった。

これはちょっと寂しかったな。

翌日には弟の合格発表があって、無事志望校合格。

嬉しくて嬉しくて、その翌日には3人でお墓参りに行った。

私はお墓参りもやっぱり嫌で、霊園を散歩してた。
帰りに弟が大好きなオムライスを食べに行った。

翌朝、母がお腹が痛いと言い出した。
動けないほどではないらしいが、倦怠感もあり、排便しても変わらないとのこと。

話を聞くと、ここ数週間の間、食欲もあまりないと言う。
思い返すと前日のオムライスもほとんど残して弟にあげていた。
元々少食のため自宅ではあまり食べないが、外食では残すことはなかったのに。

普段、風邪や頭痛の時でも母はそのことを口に出さない。

そんな母が自分から腹痛を訴えるのはよっぽどだなと思い、病院へ連れて行った。
検査入院が必要だと言われた。

この時で3月半ば。
一人暮らしの準備でマンションも契約していたが、事情を話して破棄してもらった。

知り合いのツテと言うことで、無料でキープしておいてくれるとのことで、これまたラッキーだった。

母の検査入院の間は、私は勤める予定の保育園で研修、弟は同級生と遊んでいた。

私は何事も無いことを祈りながらも母の他界を覚悟していた。
あんなに痛がってしんどそうにしている母を見るのは初めてだったから。

帰宅すると、弟と2人。
弟もある程度察しながらも普段通りを装っていたように思う。

検査結果が出たのでとのことで病院へ呼び出された。

私は当時20歳であったが、童顔なためか、医者から気まずそうに
「できれば成人の方が良いのですが…」
と言われた。

母は末期ガンだった。
聞いても驚かなかった。
「ですよね」
って返事した気がする。

この報告を聞いて真っ先に浮かんだのは、母の他界ではなくて弟の将来だった。

弟はもうすぐやっと高校生になる。
私はもうすぐ就職で生活がガラッと変わる。
親戚はたくさんいるけどみんな遠くに住んでいる。

みんな良い人達で金銭面は父の他界から後よくしてくれているが、直接的な助けは受けにくい。

色々なことを一気に考えた。
母が他界したと仮定してたくさん考えた。

今思えばその時にそんなこと考えなくても…と思うくらい。

もし2人で暮らすとして、弟は未成年。
児童相談所が絡むこともあるのか?
そうなれば施設入所?
もしくは遠くの親戚に預けられ、
弟と離れ離れに?
せっかく努力して合格したのに
転校の可能性も?など。

余命はよくて数ヶ月でしょう。
と言われた。
お母様やご兄弟にはお伝えしますか?
と聞かれた。

母はこの時まだ結果を知らされていなかったが、おそらく予感しているだろうと思った。

知らない状態で病気が進行する方が怖いだろう、母にはすぐ伝えたいと思った。
弟へどうするか悩んだ。

弟は、父を兄の2人の他界を乗り越えてきた。

もうすぐ高校生で、大人と同じように物事を考え受け入れる力は十分備わっている子である。

でも今このタイミングでそんなマイナスな報告をするのはどうなのか。

新しい生活を楽しみにしている様子は、今まで見向きもしなかった学園ドラマを夜な夜な1人で見始めた姿からよく分かる。

その気持ちのまま、高校生活をスタートさせてあげたい。
そう思った。

弟には末期ガンで余命数ヶ月であることは伝えないことにした。

初期のすい臓がんで治療すればよくなると伝えた。
担当の医者や看護師もそう合わせてくれた。
後から聞いた話、母と同じ病室の患者さんも合わせてくれていたみたい。

その後…

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引用:結婚速報
画像出典:GATAG

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