どこでもドアが欲しかった

デート中に事故に遭い、目が覚めると半月経ってて右足がなくなってた。→彼が会いにきて…

time 2016/11/20

デート中に事故に遭い、目が覚めると半月経ってて右足がなくなってた。→彼が会いにきて…

「良ければ一生一緒にいたいです。支えさせてください。」
とプロポーズされました。
彼の両親は反対こそしませんでしたが、私の両親も大反対したそうです。
しかし、彼が私の両親に土下座して頼み込んで、私の両親も
「もうこの先私は結婚は無理だろうから」
と結局許したそうです。
彼は次男だったので、私の家にお婿に来るという形で結婚しました。
しかし、そこから旦那は相当に辛かったと思います。
父が気を遣うだろうと、家の近くの土地に夫婦2人で住むには困らないくらいの仮住まいのようなものを建ててくれたのですが、それまでは母屋で暮らしていました。
しかし、特に父や妹とは当初、上手くいかなかったようです。
(事故のことが原因で)私の妹からとてつもなく敵視されていましたし、私の見ていない所でひどい嫌がらせまでしていたようです(両親は見つける度に強く怒っていたようですが…)。
また、父も普段は優しく接して(事故の前には既に紹介していて気に入られてはいました)いました。
しかし、食事などで長く同じ空間にいると、週に1度くらいの頻度で、突然
「ガァッ!」と声を上げて、旦那を殴る蹴るということがしばしばありました。
母や私の力ではもちろん止められませんし、妹はもちろん静観。旦那も反撃しないので、血だらけになっていることもありました。
そんな生活だったので、旦那は家では何重もの理由と要因が重なり、借りてきたネコのように怯えて暮らしていましたし、自分から何か声を発すると言うことはほぼありませんでした。
常に旦那の味方をしていたのは母くらいだったと思います。
私も2人の時に、
「ごめんね。大好きだよ。」
と毎日のように謝っていました。
しかしいつもそういう訳でもなく、義足に慣れるまでは、片方の脚がなくなったことで不自由を感じて耐えられなくなった時には、旦那に獣のように感情的になりながら当たり散らしていました。
でも、旦那は
「ごめんなさい。ごめんなさい。」
と言いながら抱きしめてくれました。
夜も、旦那が布団の中で泣いているということが多々ありました。
仮住まいは出来たものの、私1人では不自由する事も多く、私が義足に慣れるまでの二年近くはこのような生活が続きました。

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