内容はあの女性の説明とは全く異なるものだった。
10枚にわたる便箋には、子どもにも読みやすい筆致で、私の両親の結婚に関する事実がびっしりと記されていた。
私の父は誰でも知っている大企業で働いていた。
そのときすでに父は、高校生の頃から付き合っていたある女性と結婚していた。
本妻が妊娠したころ、父は勤め先の契約社員の6つ年下の女性と不倫をはじめた。
本妻がひどいつわりで苦しんで入院している最中、父は愛人と旅行していた。
不倫に気がついた本妻が責め立てると、父は開き直り
「金はいくらでもくれてやるから離婚してくれ」とだけ言い残し、家を出た。
謝罪は「すまん」の一言だけだった。
絶望のなか出産した本妻が、1度でいいからあなたの子の顔を見てと手紙を書いても、父は訪ねてくるどころか、返事すら出さなかった。
父のした仕打ちを父の実家に抗議しても
「貯金を全部やったんだからもういいだろう」と無碍にされた。
本妻は結婚式にも出席した父の上司に電話を入れ、事の顛末をぶちまけた。
すると愛人は途中で契約を切られ、父は閑職にまわされたが、その後、父もその会社を退職し、愛人と結婚、転職した。
そして生まれたのがこの私だということだった。
手紙の結び文句は
「あなた方の不幸を心から願ってやまない人間がいることを、死ぬまで忘れないで下さいね」だった。
読み終えた私は呆然として、しばらくは動けなかった。
手が震えていた。
今思えば、元本妻さんは、会社をクビになって不幸になるはずだった父が閑職時代に英語を習得し(元々潰しが利くニッチな理系資格も持っていた)、
外資系に転職することで以前よりも裕福な暮らしをしていること等が気に食わなかったのだろうし、それは当然の感情だと思う。
そして子どもが最も敏感と思われる時期を狙って手紙を渡したのだろう。
しかし私はそのとき、父と母に裏切られたとか悲しいとか言うよりも、ひたすらに負けん気のようなものを発揮してしまった。
大人たちの勝手な事情で、不幸になんてなってたまるかという気持ちだった。
それよりなにより、両親は彼女にとっては鬼か犬畜生だろうが、私にとっては大事な大好きな両親だった。
それまで私は勉強にもスポーツにもやる気がなく、放課後はずっとテレビゲームをして過ごすというだらしない小学生だったが、
いきなり中学校受験に意欲を燃やしはじめた。
親にせがんで塾に通わせてもらい、その夏休みにはさっそく強化合宿にも参加。
第一志望には落ちたが、塾の先生にも無理だろうと言われていた第二志望に合格した。
母は涙を流して喜んだ。
中学校と高校では文化系の部活に熱心になって、その関係で表彰も受けた。
友人の大半が内部進学していく中、私は少しだけレベルが上の大学に学外進学した。