俺はもうあと数年で定年という年齢なんだが、嫁は俺より年下。
今から30年位前に、親戚夫婦が事故で亡くなった。
血筋としては俺の従兄弟とその嫁さんにあたる。
車で一時間くらいのところに住んでいて嫁が妊娠しているときに助けられたり、逆に相手さんが妊娠しているときに助けたりとかなり仲が良かった。
その夫婦の娘も俺ら夫婦の息子と年が近かったのもあってかなり仲がよく、子供特有の将来結婚するーなんて話もよくしていたのを今でも覚えている。
そんな夫婦が亡くなったのは自動車事故だったけど、助手席に座っていた娘、A子とするけど彼女だけは無事だった。
奥さんは後部座席の右側に座っていたのが原因で助からなかった。
A子も酷い怪我で一年くらい入院していた。
その間、俺親族、嫁、従兄弟の嫁さん親族全員が集まってA子をどうするかという話合いになっていた。
嫁さん親族は既に年金暮らしとなった老夫婦で無理。
俺親族、というが俺の両親もほぼ同様の状況。
俺も息子がいて、高校生で大学受験を控えているため金銭面に余裕はないのでどうするかという話だった。
そんな時に嫁が俺と息子にうちで引き取れないかという話をしてきた。
俺は正直反対だった。
金銭の問題ではなく、息子は思春期真っ盛りで、息子を信じないわけじゃないが男ならわかると思うが性欲というのはバカにできないものがある。
それにA子は両親を目の前で亡くしたショックで殻に籠ってしまっていて俺の手には余る話だと思っていた。
そしたら嫁が、私は掃除府でも何でもしてお金を稼ぐ。
息子の動向にも常に気を払う。
全ての責任は私がとるといいだした。
結局その言葉に負けて俺は承諾。
けど息子は渋っていた。
これは後から知った話だが、中学になって行動範囲が広がった息子はちょくちょくA子と会って恋愛感情を抱いていたらしい。
そして立場上、はとこにあたるので結婚もできるのでそこまで考えていたそうだ。
ただ付き合っていたことが露呈するのはまた別の修羅場があったからで、それは後程語る。
でも結論だけ書くと二人は結婚した。
息子は、A子と兄妹になるのは嫌だといい続け養子縁組はしないということで最終的には了承した。
それから引き取ってからは大変だった。
まず経過を見るとかいろいろあってA子を病院に連れていかなければならないんだが、車に乗ることがトラウマになっていたので移動は自転車。
当時住んでいた家は山を切り崩して作った住宅地、切り崩したというか切り開いたというべきなんだろうな。
起伏が多く、嫁や俺は付き添いに苦労していた。
そして洗濯、毎日部活で泥まみれになる息子とおっさんの俺の服を、A子のものと一緒に洗うのは忍びないので男女別で洗うようになっていた。
その結果嫁の家事量が増え、稼ぎに出るどころではなかった。
そのことに対して嫁からは散々謝られたが、ある日事件が起こった。
息子が部活をやめてきた。
小学生のころから入れ込んでいた野球部をやめてきた。
その時の息子に、俺はひどく怒ったのを覚えている。
お前は途中で投げ出すような奴だったのか、と怒ったのを。
そしてすぐに反省して謝ったのも覚えている。
息子は嫁と、俺と、A子を支えたいからアルバイトをするといって既に牛乳配達の仕事を見つけてきていた。
嫁は涙を流しながら息子に誤っていたが、どうやってもレギュラーになれないし問題はないみたいなことを言っていたと思う。
ただA子本人はまだ殻に籠っていた。
俺や息子には心を開かず、嫁には少しずつ話をすることがある程度だった。
だから学校にも行っていなかったけど、俺はどう接していいかわからず当時の同僚に年頃の娘との接し方を聞いたりしていた。
息子もそのことは気にかけていて夜中にこっそりと俺に相談してくることもあった。
そうしているうちに息子は大学受験をする歳になってバイトを続けることができなくなり、このまま働くと言い出した。
けどそれは嫁が許さなかった。
俺はそれまでたばこや酒を嗜んでいたがA子を引き取る際にほとんどやめていたからその分を貯蓄していたし、息子を大学に行かせることに苦労はないから安心しろといって受験まで学校の先生に頼み込んだりして勉強をさせていた。
そうしてA子が来て数年、うちに来た当時中学生だったA子は高校生になる歳だったが、ほぼ引きこもりで空ばかり眺めていた彼女に行ける学校はなくそのまま家事手伝いとなった。
その後…
(Visited 623 times, 1 visits today)
そうなると今度は嫁が動いた。
家事をA子に教え始めた。
最初は煮物がしょっぱすぎたり、洗濯物から異臭がしたりと散々だったがそのうち手際よく家事をこなせるようになっていた。
そのかいあってか、嫁も当初の約束通り働きに出られるようになった。
A子はそのころから変わり始めた。
こんなによくして貰っているのにとよりネガティブになった時期があった。
それを嫁が叱責した。
もし恩を感じているなら暗くならないで前を向きなさいみたいなことを言っていた。
その言葉を受けてか、A子は徐々にだけど笑顔を見せるようになってきた。
そして息子も大学生になったころA子はようやく完全に立ち直って今までの遅れを取り戻すように勉強を始めた。
勉強は息子が教えたりして、そして遅れながら高校に入学した。
さすがに歳の差とか、引きこもっていた間のブランクがあったり、事故の時の傷があったりとかでうまく溶け込めなかったみたいだけど仲のいい友人はできていた。
そして、これが息子とA子の間に恋愛感情というか付き合いがあると発覚した修羅場。
大学生の息子は当然だが性欲がある。
それは年老いた俺も同じ。
そんなわけで当時の俺も、息子も下系の本を何冊か持っていた。
その本が、休日掃除をしていたA子に見つかってしまった。
嫁はぺらぺらと本をめくってはへーとかほーとかうわっとか言っていたけど、A子の口から衝撃的な言葉が出てきた。
これだけは生涯忘れにと思うことばで、鮮明に記憶に残っているんだが
「私と付き合っているんだから私で発散しなさいよ、ほかの女がそんなにいいの? 」
激昂するA子だったが唖然とする俺をよそにバツの悪そうな息子、そして大爆笑する嫁という構図だった。
嫁はうすうす気づいていたらしいが、おれは寝耳に水だったから。
とりあえずその時は俺が男の性欲についてくしゃみのようなもので抑えきれるものではないということを。
嫁が異性としての付き合いというのは子供の遊びではないからしっかりと否認などは必要だしあんた達にはまだ早いということを教えることとなった。
その結果、息子は本を買うことを容認されて、A子は息子の部屋をかたづける際は息子同伴ということになった。
ついでにそういう行為は互いに社会人になってからということにもなった。
それまでも、といってもA子が事故が原因で殻に籠るまでだから中学生と高校生の二人はキスが限度だったらしくそれ以上の進展はなかったことを嫁が聞き出した。
ついでに男の俺はそういう話は聞かないでいいということで部屋に押し込められていたから後から聞くことになった。
そうして奇妙な家族関係となったわけだが、嫁は働いて、A子は息子のように学校に行きながらアルバイト、息子も大学に行きながらアルバイトをしていた。
そのうちA子が修学旅行となったんだが、それが問題だった。
バス移動、つまりは車での移動。
うちにも車はあったが、A子はかたくなに乗ろうとしていなかったがトラウマを克服しようとし始めることになった。
これは本人の希望だった。
身体に傷があるし、トラウマもあるA子は最悪休むことも視野に入れていたんだが、何かが吹っ切れたんだと思う。
まずは動いていない車に触れるところから始まった。
最初はそれだけでも結構つらかったらしく、冷や汗を流しまくっていた。
その段階が平気になると、車のドアを開けて中のにおいをかいだり、シートに触れたりして徐々に慣れていった。
最後は俺の運転で近くのスーパーまで買い物に出かけて帰ってこれた時は涙を流して
「お父さん、お母さん」といっていた。
それからはA子は車に関するトラウマも克服できて、修学旅行で傷のことでひと悶着合ったらしいが自力で解決するほどにたくましくなっていた。
気が付けばA子も大学に入学、息子はそろそろ就職という時期になって今度はA子が働くと言い出した。
今までさんざん世話になったのに大学に行かせてもらおうなんてといいだした。
それを起こったのは俺、ではなく息子だった。
というか俺がおころうとしたんだけど、それよりも先に息子が怒った。
家族にそんな気を使うな、父さんと母さんはお前の両親になるんだし俺はお前の旦那になるんだとか何とか言っていた。
そう言った息子がやけに大きく見えて、ああこいつはもう大人なんだなって思った。
嫁はニコニコしていたが、すっとたちあがって貯金通帳を持ってきた。
そこにはA子が大学に通っても余るだろう程の金額が書かれていた。
俺の酒煙草代が浮いた分、息子のアルバイト代でうちに入れていた分、A子がアルバイト代でうちに入れていた分、嫁の稼いだ分がそこには載っていた。
結果A子は大学に通うことになり、息子はその後アルバイトをしていた工場で正式に働くことになった。
それからもちょくちょく、時代的なこともあり問題はあったんだが幸いA子は巻き込まれることもなく役所への就職を決めることになった。
こうして二人は社会人になって、数年してから息子は給料三か月分の指輪をA子に渡して、A子はそれを快諾。
無事入籍となった。
この後二人で暮らすべきと俺が強く勧めて、嫁が貯蓄していた例の大学の資金の残りを渡して断られたり。
二人で暮らすことは決まったがあれこれ手助けをしようとして子離れしろと怒られたり。
二人がいなくなって気が抜けたのか嫁が燃え尽き症候群になったりと大変だった。
けど一昨日、息子から泣きながらA子との間に子供ができたという知らせが入って嫁と一緒に涙蒼流して喜んで。
そんでお祝いってことでA子が大好きだった嫁の手作りクッキーやらを持って二人の家に行ってきた。
それから親戚夫婦の墓に行って報告、一までもちょくちょく報告はしていたんだけど今回はボロボロ泣きながらの報告になってしまったよ。
最後にA子にまつわる修羅場を書いておく。
それは二人の結婚式で感極まったA子が
「バージンロードを本当にバージンのまま歩くことができたのは家族のおかげです」と謎のカミングアウトをしたこと。
俺や嫁はそのあたりきつく見張っていたけど、どこかしらでそういうこともあるんじゃないかと思いそれとなく目立つ場所に避妊具を置いたりしていた。
何せ四六時中監視できるわけではないし、せめてやるならと思っていたのもあるからな。
一度A子に「二人ともこういうものは見えないところにしまっておいて」と怒られたこともあったが、なんて返せばいいかわからなかったことがある。
A子を引き取って30年近く、当時息子を抱えてなおA子を引き取ろうと俺に迫った、そして願った嫁の説得は俺の知人から聞かされるやんちゃ話や、近所のおばちゃんの話なんかとは比べ物にならない武勇伝だと思う。