高校生のとき、ひと月の間に両親を相次いで亡くして喪主二回やったのが修羅場。
母親は先天的な心臓の欠陥からくる虚弱で、入退院を繰り返している人だった。
普通のサラリーマン家庭で育ったが、友達のように「じーちゃん」と「ばーちゃん」はいなかった。
推薦で大学が決まってボチボチ車の免許を取ろうとしていた時期に父が車の事故で他界した。
訃報を聞くなり母が卒倒。救急車で病院に運ばれそのまま入院した。
「祖父母」という存在がいなかったように、「親戚」もいなかったから自動的に喪主をやることに。
父の勤め先をはじめとした周辺への連絡、火葬の許可など、何から着手していいのかわからないままご近所さんたちの知恵と手を借りてどうにか通夜にこぎつけた。
喪主の席で坊さんの背中を見ながら思ったのは、
「坊さんもタダじゃ経をあげてくれないんだなー」
ということ。
預金の名義が父になっていたことから、父が亡くなったことで凍結。
相続の手続(?)が住むまで下せなくなっていて、葬式代の工面に大わらわした。
(大学進学を機に一人暮らしする予定だったので、両親があらかじめ私名義で積立をしてくれていたので、そこから支払った)
ここまでが第一の修羅場。
第二の修羅場は通夜の席で起きた。
父はトラックと正面衝突をして亡くなった。
最初に警察が来て、父の過失で起きた事故だと聞かされる。
このときトラックの運転手(以下ト運)は軽傷だと知った。
ト運が、父が運転を誤って反対車線に突っ込んできたと証言したことから、警察は父の過失だと断定。
そのあとでト運の代理人が押しかけてきた。
ト運が父の遺族(つまり私たち)に対し慰謝料を請求すると言っていた。
葬式代の工面だけでも大わらわだった私呆然。母は入院したままだし、兄弟もいない。
孤立無援の状態だった私を見かねてご近所さんが割って入ってくれて、その話はまた改めてするようにと言ってくれた。
ト運の代理人、納得しかねる様子だったがとりあえずまた来ると言って帰った。
このとき名刺を置いていかなかったことをご近所さんは不審に思ったらしい。
どうにか通夜が終わるって頃に、今度はト運本人がやってきた。
お悔やみも言わず、父のせいで自分は仕事に行けなくなった。
治療費を含めた慰謝料を寄こせと騒ぐ。
ト運からすれば、高校生の私(小柄なおさげ)が喪主ならいくらでも払わせることができると思ったのだろうか。
罵倒混じりの恫喝をされた。
この当時はまだ自宅葬がほとんどで、父の通夜も自宅でやっていた。
参列者も少なくなっていたが、私を気遣ってご近所さんが何人か残ってくれていた。
そのうちの体格のいいおじさんがこの時も割って入り、慰謝料や治療費は父が入っていた車の保険屋に連絡するよう言ってくれた。
ト運はごねたが
「また来るからな、その時までに金の用意をしておけ」
的なことを吐き捨てて帰って行った。
この一連に私はすっかり疲れてしまって脳みそ半マヒ。
正直何も考えられなかった。
ご近所さんがいなければ、どうなっていたかわからない。
その後…