どこでもドアが欲しかった

私が7歳位の頃にコツコツお手伝いをして貯めた貯金が無くなってた。母「どうしたの?」私「…」

time 2016/11/29

私が7歳位の頃にコツコツお手伝いをして貯めた貯金が無くなってた。母「どうしたの?」私「…」

私の小学生時代の話です。

私・・・7歳くらい
兄・・・私の1こ上

まだ小学生低学年だった私たち兄弟にはお小遣いというものがなかった。
お年玉は両親親戚からもらっていたけど、母の管理という名のもとに手元には3000円程しか残らない。
管理ってなんじゃそりゃああ!
と不満が爆発しそうだったけど、堅実に使おうと決めた。

毎月1日に発売されるちゃおが当時の私には何よりも娯楽でお菓子など我慢して漫画を買い、擦り切れるほど漫画を読み
翌月またちゃおを買って楽しむ生活だった。
兄はお菓子を買ったりして好きに使っていて、羨ましくてしょうがなかったけど、私は必至に我慢した。


しかし毎月450円使っていればお金は底をつくし、兄もお金が無いというので私達は母にお願いして皿洗いや洗濯物を畳む等お手伝い1回につき10円をもらう事になった。
毎日1~2回お手伝いして1か月貯めれば余裕でちゃおが買えるし、夢の貯金もできる!と私はお手伝いに勤しんだ。
10円玉を入れるお手製の巾着袋も作り、日に日に貯まる10円玉を数えニヤニヤしながら数えるのが趣味となっていた。
兄はチマチマお金を貯めるのが合わないのか最初の数回お手伝いをしただけだった。

数か月後のある日、仲のいい友達がちゃおを買い始めて、シェアして読ましてくれることになった。
ちゃおの為にお手伝いをしていたけどその必要もなくなり、だけど貯金の快感を知った私は継続してコツコツとお手伝いをすることに。

貯金してある程度貯まったらちょっといいお菓子を買ったりして、充実した貯金ライフを送っていたある日。
学校から帰って、巾着袋を手に取ったら何と軽い。
それも少し軽い、ではなく空に近い感覚。
ドキドキしながら中身を確認すると、パッと見で数えれるほどの10円玉しかない。
記憶では500円ほどあったはずなのに。
ショックすぎて声も涙も出ず、直感で兄が盗んだと思った。
そのまま夕食の時間になって家族揃ってごはんを食べたけど、誰にも相談できないまま食べ終わった。
いつもだったら皿洗いをするのに、何もせず自室に籠った私を心配して母が何かあった?と部屋へ入って来た。

ここで正直に話せばよかったのに…

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コメント

  • 凄く解る……

    私の場合は弟だったけど
    大人になっても
    同じ様な事を
    繰返しやられていたなぁ……

    管理が甘いと
    言われてしまえば
    それ迄だけど
    泥棒と一緒に暮らしてる
    気分だったわ

    最初にハッキリ
    させなかったのが
    良くなかったと
    今でも後悔してます

    by ぽよぽよ €2018年7月12日 11:25 PM

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