別の病院の相談室に毎日私は
「こちらで姑を引き受けて欲しい」と頼み込んだ。
そしてやっと移動できた。姑は泣いた。
旦那も「ありがとう」とは言ってくれた。
やっとプライバシーのあるカーテンの大部屋にうつり、オムツも体も拭いてもらえた。
看護婦さんも優しい言葉をかけてくれ、テレビも備えてあった。
少し回復した姑は声が少し出るようになった。
笑顔も増えた。
「あんたに一番迷惑かけた。あんたのお陰、本当にありがとう」
その言葉で私が一番救われた。恨みが消えた。
いつ死んでもおかしくなかった。
娘がバァバにと猫の写真をとっては話していた。
体が痛いと言えば体を撫でた。
「薬増やしてもらおうね」と慰めた。
もう死しかなくて痛みに耐える必要はなかった。
あとは意識混濁だけが問題だった。
10回近い手術に耐えた姑が私にだけは弱音を吐いた。
「桜見に行こう、近くにほら窓から桜の木が見えるよ。
あれを見に行こう」
段々と痛みが強くなっていった。
モルヒネにも耐性がつき限界が近づいていた。
「もう頑張りたくない」そう言った姑に
「もう頑張らなくていいよ、よく頑張ったね」と言うと泣かれた。
年末に既に体が動かせない、寝返りすら補助のいる姑が
錯乱しながら「死にたくない、帰りたい」と廊下に這っていたらしい。
「息子さんを付き添わせてください」と夜中に呼び出しを受けた。
旦那は「眠い」と嫌がったが、叩き出した。
そして朝、交代する時に
「死にたいと泣かれた…辛い」と旦那は自宅に帰った。
意識もロクにない姑は外を見たがったのでベットの上をあげて座らせた。
ずっと手を握っていた。
私がトイレに行って帰ると、虫の息だった。
大声で私は叫んだ。記憶があまりないが、ずっと姑に謝ってた。
「がんばらなくていいと言ったけど、せめて旦那がくるまで頑張って!!
ごめんね、がんばれっていってごめんね」
そして死んだ。
旦那は娘を連れて来た。趣味の洗車をしていたらしい。
「なんで俺を待ってくれなかったんだ」という言葉がむなしく響いた。
葬式の間も旦那は役に立たなかった。
ただ俺の身内を動かすな、お茶くらいいれろと私に怒鳴った程度だった。
晴れていたのに出棺の時だけ雪が降った。
雪なんて珍しい地域なのに綺麗だった。
葬儀が終わって旦那が言った。
「おかんが死んだら離婚しようと思っていた。でも結婚続けよう」
私の中で姑の「息子がバカでごめんね」という言葉が浮かんだ。
昨日が姑の一周忌だった。
離婚して仏壇はもうない。
姑が生きていたら、こうなってなかったなと、少し寂しい気持ちで昨日は過ごした。
今度、桜が咲いたら娘と約束の桜を見に行こう。
病院の先生も看護婦さんも、相談室の女性も優しくしてくれた。
まだまだ人って捨てたもんじゃないなと、強く生きていこうと思う。
死んだその日に姑が夢に出てくれたんだ。
「ごはん食べてる?痛みはない?」
すると姑は笑って「猫と遊んでるから、だいじょうぶだニャン」と
元気な時みたいに笑ってくれた。
もう手も合わせられないけど、
痛みも空腹もない場所で良かった。