この問題を部長・社長まで持って行って特例という形で社宅への入居を取り付けてくれました。
社宅には課長も住んでいるから日常面で助けられると思ったと言われましたよ、
本当に頭が上がりません。
引っ越しや届け出を片付けるのに5日間の有休を取らせて貰って社宅に引っ越したのだけれども、
部屋が課長宅の隣でまた驚いた。
課長宅に挨拶に行ったとき、奥様にまだ1歳の娘を未婚の男が育てるなんて中々大変だろうからと、
他の家の奥様方にも連絡して私たちの生活を手助けして頂きました。
こうして様々な人に支えられて私と娘の生活が始まりました。
そこから先は楽しい事も辛い事もありました。
夜間に娘が高熱を出したときは課長に車に乗せられて救急病院まで行ったりもしました。
幼稚園に入るころには仕事のペースを掴める様になり定時で上がらせて頂き幼稚園へお迎え、夕食後に一緒にお風呂に入って寝かしつけてから家事をこなして残った仕事を少しでも片付けてました。
でも全然辛くないんですよね、娘の為なら頑張れるって父親の心境でした。
この頃には同僚も何人かは結婚して社宅に入っていまして、仕事面で助けて頂き本当に感謝しました。
休みの日なんかは一緒に買い物に行き、服を買いましたが
子供服って結構いい値段するのですよね、非常に驚きました。
課長ご家族にも娘さんが2人いまして、娘の遊び相手をして頂きました。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と言ってよく後ろについていったのを覚えています。
この頃、娘に一度だけ聞かれましたね、「何故私にお母さんはいないの?」と。
遂に来たかと思いながらも誤魔化しましたね、ママは小さい時にお空に帰ったのだと。
実際には私は付き合った女性が居なくて、結婚すらしていませんでしたから。
娘に嘘を付かなければならないのが辛かったです。
それでも月日が経ち、小学校に入学した時は赤いランドセルを背負った娘をみて号泣しましたね。
この頃には課長奥様に料理のイロハを完全に叩き込まれましたから、
食事に関しては助けがなくても大丈夫になりました。
娘が小学校6年生の時に課長が部長へと昇進し、私の指導員に当たる方が課長になりました。
この時部長宅でお祝いをしたのですが、娘と一緒に手作りのケーキを作って送ったところ
部長が大泣きして大変でしたね。
中学生、高校生と順調に進学しましたが、遂に真実を話す必要が出ました。
高校の修学旅行で海外へ行く事となり、
パスポート作成の為戸籍謄本を取ったのですが、中を見られまして。
養子の文字を追及されて観念して話しました。
私は実際には父親でなく叔父に当たる事、実母である姉が失踪した事。
この時丁度反抗期だったのですが、事実を知って大泣きされました。
散々泣いて、私に当たって、ようやく落ち着いて
「育ててくれて有難う、お父さん」と言われた時は私が泣きましたね。
真実を知った上でお父さんと呼ばれると思っていませんでしたから。
高校からパティシエになる為の学校に進学して20歳になった時、彼氏の紹介をされました。
相手は中学からの同級生でずっと仲良くしてきたそうで、私はちょっと悔しかったです。
でも娘が照れながらもとても嬉しそうな顔で報告してきて、
許すとか許さないとかそんなのどっかに行っちゃいました。
それからも交際は続いて娘が26歳になった今年に、再度娘が彼氏を連れてきました。
彼氏君は顔を真っ赤にして、
「必ず娘さん幸せにします、結婚を許してください」って言ってきたんです。
その時、肩がふっと軽くなって泣いてしまいました。
頭にあったのは、娘を無事育てきったという感情でした。
「娘を今よりも幸せにしてやって下さい。」
泣きながらにそう言ったら皆して大泣きです。
隣の部長ご夫妻や同僚が何事かと突撃してきて、そこから先は宴会でした。
結婚式の時とこの時が一番泣きましたね。
その後は私も一緒に彼氏ご家族へご挨拶に行き、そこでも宴会となって大騒ぎをしました。
向こうのご家族から、「素晴らしい娘さんを育てられましたね」と言われた時も
また泣いちゃいましたね。
二人して新居へ移り、昨日11/21に結婚式となりましたが、娘はとても綺麗でした。
式が進み、新婦から手紙を読む時が一番堪えました。
初めに式に来ていたご友人方々、次に部長ご家族への手紙だったのですが、
部長が泣きすぎて呼吸もままならなくなるほどでしたよ。
最後に私への手紙を読みましたが、一字一句覚えています。
「お父さんへ
お父さんが本当のお父さんで無いと聞いたときは本当に驚きました。
それ以上に、私をここまで育ててくれたことが本当に嬉しかった。
私を育てる為にたくさん苦労したのではないでしょうか。
私の為にたくさん悩んだのではないでしょうか。
それでも私を育ててくれました。
お父さん、本当に有難う。
私は幸せになります、今までよりもずっと幸せになります。
これからどんな事があっても私は幸せになってみせます。
ありがとうお父さん、大好きです。」
娘も泣きながらでしたが、精一杯手紙を読みました。
この手紙を聞いて、娘は幸せになっていけると思っています。
辛い事も苦しい事もありました。
人一人を育てるのがこんなに大変だと思いませんでした。
それ以上に、子供が育ち、巣立っていく姿がこんなにも美しく、嬉しい事だと思いませんでした。
今までを思い返し、オッサン涙を流しながら書いています。
もう一生分泣いたと思いますが、これからも泣くのでしょう。
昔から涙もろいのは知っていましたが、こんなに泣くとは思いませんでした。
25年間を凝縮したのでかなり飛び飛びになっていますが、書かせて頂きありがとうございます。
ここまで私と娘を支えてくれた全ての人に感謝します。
願わくば、娘が幸せに幸せに過ごせる様に。