俺の自営の周年パーティーを事務所でやっていた時の話。
近所の人達や親戚、友人等俺の事務所に集めてささやかに催していた、確か土曜日の事。
自慢の娘も皆の前で紹介したかったんだけど、部活でドタキャン。
まあ昼前から飲めや歌えやの大騒ぎ。
実際歌は無かったけど。
俺も結構酔って気分良くなってた時に、近所のおばちゃんから「お客さんだよ」と声がかかった。
なのんきなしに事務所の入り口に向かうと、そこに元嫁が立っていた。
雰囲気はだいぶ変わっていたけど、俺は一目で元嫁と分かった。
元嫁は伏せ目がちに立っていたけど血色も良くて着ているものもいい感じだった。
普通に幸せな主婦って感じ。
一瞬頭の中が真っ白になった。
酔っていたからなのか、心臓の鼓動が耳元で響いて妙に耳障りだったと覚えている。
元嫁は何かを言っていた。
「久し振り」なのかもしれない。
「元気だった?」なのかもしれない。
でもそんな事はどうでも良かった。
無心であっけにとられていたはずの俺なのに、次の瞬間襲った激情。
激情だよ。
今思うと全くコントロール出来ていなかった。
俺は元嫁の手を引いて皆の前の壇上に立って大声で言ったんだ。
紹介します!てな。
「紹介します、私の元嫁です!◯◯(娘の名前)の親です!若い男を作って◯◯と俺を捨てて逃げていった元嫁でーす!」
凍り付く事務所。
元嫁は深く深くお辞儀をすると、顔をハンカチで押さえながら慌てて出て行ったよ。
そのあと少しの間、記憶がない。
親しいご近所に苦笑いされながら
「あれはちょっとキツイよ」
と言われてから正気に戻った感じ。
その場はお爺ちゃん(つまり俺の父親)がうまくとりなしてくれて行事はなんとか終了。
皆帰った後に親父に横っ面ナグられながら言われた。
「今日お前がしたこと、娘に言えるのか?」
てね。
憎いなんて感情、もう無くなっていたと思ったのに。
自分が情けないやらで訳分からなくなった。
涙が滝のように出てきて、母親に慰められていた。
夕方、娘が帰ってくるのが恐かった。
娘は何て言うだろうか?
俺の事を軽蔑するに決まっている。
父親として失格。もう口も聞いてくれないかもしれない。
真の意味で恐かった。恐怖だよ。大切なものを失う恐怖って、想像を絶するよ。
案の定、娘の怒り方は凄かった。泣きながらなんでそんなひどい事言ったの!てさ。
その後部屋に閉じこもって一晩出て来なかったよ。
翌日、朝から娘と二人きりで話し合った。
娘、元嫁の事を何も覚えていないことがこの時分かった。
顔も覚えていないし、兎に角何も覚えていない。
もっと言うと、5歳以前のことは全く記憶がないんだと。
考えないようにした、忘れようとしていたら、本当に綺麗さっぱり当時の記憶が無くなったんだと。
また泣いたね。
5歳の女の子にどんなひどい仕打ちをしていたんだって。
嫁が、じゃなくて、俺がね。
父親として何か出来なかったのかなって。
片親だとしても両親がいたから比較的俺には余裕があったはずなのに、てさ。
娘から
「自分を産んでくれたお母さんには感謝している。お父さんにとっては色々あるかもしれないけれど、私を産んでくれた事は事実だから」
そう言われてしみじみと前日ひどい事をしたと思ったよ。
娘がこんな風に考えていたなんて思わなかった。
俺と同じだと思ってたけど、子供だもんね、元嫁の。
親子だもんな。
「私はずっとずっとお父さんの子供だし、お爺ちゃんお婆ちゃんの孫だから」
だってさ。
これで十分だと思った。
今ここに娘がいる、それだけで俺の人生上出来だよ、てさ。
この話、実は結構最近の出来事。
あれから俺たち家族はいつも通りの毎日を送っている。
相変わらず娘は明るくて前向きで、爺婆に可愛がられてる。しかも彼氏が出来たらしく、お婆ちゃんが一番喜んでいる。
元嫁の事は知らない。
けど、昨日母から父が元嫁の所在を知ったと聞いた。だからと言ってどうもしないけど。聞く気もない。
娘に怒られるかもしれないが、元嫁にあんな事を言ってしまったことを後悔はしていない。
けれど、心に棘が刺さったままのような、何ともすっきりしない感じはずっと残っている。
なんていうかな、何も抱えていない家族なんてこの世に存在しないんじゃないかと最近思っている。重い軽いはあるにせよ、だ。
俺もそうやって一生背負っていくんだろうなと。