どこでもドアが欲しかった

弟を溺愛し私を徹底的に虐待した親から逃げ出すように家出→そんな私を弟は心配していたが…

time 2016/11/30

弟を溺愛し私を徹底的に虐待した親から逃げ出すように家出→そんな私を弟は心配していたが…

弟は自○した。まだ十五歳だった。
家と連絡を絶っていた私にその知らせはなく
偶然街で弟の友人だった子に会って、その子から訃報を聞かされるまで
私は何も知らなかった。

その時に聞いた。
弟は何度も家のことで友人たちに相談していたことを。
そのなかには非行に走った挙句
半ば家出のような形で家を出て行った姉のことも含まれていて
自○を選ぶ直前まで私のことを気にしていたと聞かされた。
街中で連れ立って歩く家族や、同じ学校に通う兄弟を見るたびに
「何で俺たちはあんな風になれなかったんだろう」って言ったって。
ショックだった。
それまでの自分は、「自分カワイソウ」に浸っていて
弟のことを考えたことなんか一度もなかった。
弟とどんな会話をしたか思い出そうとして、思い出せない自分に気づいた。
思い出せるのは「姉ちゃん、姉ちゃん」って懐いてくる弟を
邪険にしている自分か、非行に走った私を何度も諌めようとする弟に
「施しするのは気持ちいいか」と僻み根性に凝り固まった自分ばかりだった。
弟がどんな表情をしていたのか思い出せなかった。
まともに弟を見ようとしてこなかったから
いつもどんな顔で私に声をかけてきたのかわからなかった。
最低な姉だなと思う。
こんな姉ちゃんでごめんって泣いた。
でも私はそんな弟に線香すらあげられなかった。
弟の友人と別れてすぐに家に向かったけど
私を見るなり親に庭用のホースで水を撒いて追い払われた。
「お前が殺した、疫病神」って罵られて、そのとおりだと思った。
私があの弟を殺したんだ。
そう思いながら住んでいた下宿先に戻って
それから一月くらいどうやって過ごしていたのかあまり覚えていない。

弟の死を知って一月と少し経ったころ、私の妊娠がわかった。
批難されるのを覚悟で書くと、だれが父親なのかわからない子供だった。
そのころの私は美容院でアルバイトをしていた。
資格も何も持っていなかったけれど
非行に走っていたころに知り合った男友達のひとりが働いていて
ツテで雇ってもらっていた。
年が離れていたこともあるんだけど、その男友達のほうは
とうの昔に非行からは卒業していて、美容師の資格を取った後に
親戚の店で働かせてもらっていた。
家を出ても腰が据わらずふらふらしていた私に
そろそろしっかりしろと発破をかけてくれたのもこの人だ。
親戚に頼みこんで私に下宿先と仕事場をくれた。
当時は働きながら美容師免許を取る人も多くいたから
免許を持っていないアルバイトも珍しくなかった。

妊娠した以上、産む・堕すの二者択一がある。
そしてどちらにも相応のお金がかかる。
迷った末に男友達に相談した。
仕事が終わった後、男友達はしずかに聞いてくれて
「産むのか?」って聞いた。
今振り返っても、妊娠が発覚した時の私は子供だった。
子供が子供を妊娠したわけだ。

わかんない。
私がお母さんになれるのか。
自分がされてきたようなことをやってしまうんじゃないか。
お金だってないし、アテもない。
仕事もできなくなっちゃう。

そんなことをベソベソと泣きながら一晩中話した。
根気よく聞いてくれた後に
男友達が「お前産んだ後のことを考えているな。堕すことは考えてないんじゃないか?」
って言ったあと「産め」って背中を押してくれた。
同時に「父親がいるなら俺が引き受けるぞ」って言われて、正直びっくりした。

白状すると男女の関係をもったことはあったけど
それは随分前の話しで昔俗に言った「足を洗ったあと」は
男友達のほうはそういった浮ついた関係はいっさいしていなかった。
非行に走っていた状態から立ち直って美容師見習いからはじめて資格をとって
その間ふらふらしていた私に発破をかけ続けてくれた。

私の身の上や弟が死んだことも打ち明けていたから
無気力に呆けていた私(妊娠したのは弟の死を知る前)を
気遣いながら励ましてもくれた。
「死んだ弟が見てるぞ」
そう言ってズルズルとまた楽な方向に流されかけていた私を止めてくれた。

「だれが父親なのかわからない子だよ?」
「俺の子って俺が言えば俺の子になる。それで通せ」
「店長にどう説明すんの?」
「彼女孕ませた。俺は成人しているし
○さん(店長の名前)から殴られるくらいで済むから心配すんな」
「え、あ、え?」
「金ないから結婚式はナシな。
籍だけ入れて、とりあえず俺の貯金を出産費用にあてるとして……」

って感じの流れで男友達はそのまま旦那になった。
その時にちゃんと地に足をつけた生活をして
子供の親として世間様に顔向けできるような暮らしをしようって
旦那になった人が言ってくれた。約束した。
非行に走っていたころの旦那や私を知っているだけに
店長は複雑そうだったけど、結婚には反対されず、むしろ逆に親身になってもらった。

その時生まれた息子が今では父親になっている。
息子が生まれた後「跡取りー」ってキチガイ両親が突撃してきたけれど
周囲の助けを借りてガードすることができた。
血液型で「父親が実の父親じゃない」ってわかった時に
とうの父親が「血がつながっていないだけで俺だけ仲間外れか。グレんぞ」
って言ったことから息子はさほど落ち込まずに済んだ。

今では私と夫、息子夫婦と四人で美容室をやっている。
息子の下に弟妹も生まれて
「自分が子供に言っていることが、昔自分が親からされたことと同じじゃないのか」
って育児中に悩んだこともあるけど、どこにでもいる当たり前の親子
兄弟を作れたと思いたい。
この子たちには私たち姉弟のような辛い思いはさせたくなかった。

弟の位牌を両親が亡くなった時に引き取った。
その両親の骨がどうなったのかは知らない。
喪主をやる気にも、骨を弔う気にもどうしてもなれなかった。

非行から立ち直ったというと美談にとらえられがちだけど
全然そんなことはないと言いたい。
非行に走って迷惑するのはまっとうに暮らしている家族。
自分の馬鹿さ加減に気づいていくら後悔しても
その時には手遅れになっていることもある。
私は手遅れだった。
弟の時間は十五年で止まった。
どんなに後悔しても死んだ人間は生き返ってこない。
向き合わないといけなかった相手と向き合わなかったツケを
一生抱えていくことになる。その分回り道もする。
世間様に顔向けできないことをしたんだから当たり前だけどペナルティもある。
それは刑事罰の有無ではなく、自分の中の罪悪感であったり
何年も前のことを穿り返されて嫌な思いをすることがあったりと
様々な形でやってくる。すべて自業自得だ。
そんなペナルティが重すぎて立ち直れず繰り返してしまう人も少なくない。
「非行に走るな!」なんて立派なことは言えない身の上だけど
それだけは知っていてほしい。

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