どこでもドアが欲しかった

震災で家を失った課長。社員「みんなで支援しよう!」プレハブを建て発電機や水タンクも設置→しかし…

time 2016/11/30

震災で家を失った課長。社員「みんなで支援しよう!」プレハブを建て発電機や水タンクも設置→しかし…

始めての会社での出来事、関東の学校を卒業して大阪の会社に就職した。
四月に入社し関西の事情や裏の話、世の中の汚い事すら詳しくわからないまま、次の年の一月に入った。

そして阪神大震災。 
会社の寮ということもありすぐに会社へ出てみた。
机の上の物や棚がひっくり返っていたが、とりあえず他の者が来るまで待っていた。

車通勤ということもありほとんどの社員が出勤してきたが、兵庫県から通っている課長が来なかった。

そしてテレビ等で映像を見て状況に驚き、課長の安否を皆心配していた。
そうしたら午後に専務が訪れ「本人は大丈夫」との事。 
専務はニュースを見て課長の事が気になり確認しに行ったそうです。 
山登りが趣味とはいえ専務は堺から課長の家に歩いて行き、安否を確認して会社に出てきたそうだ。

しかし「課長の家は全壊している」との話も。 
そして課長を支援する空気が自然に全社に湧いてきた。
翌日には取引先にも広がり皆課長を支援しようとなった。

そして地震から三日後、支援部隊結成して課長の家へ。 


陸路はダメだったので取引先の台船を使い近くの川から陸揚げ、人は動けるところまで列車に乗り、そこから徒歩・・・20キロぐらい歩きました。

駅から課長の家に向かうにつれ阿鼻叫喚の世界が広がって来ました。
課長の家に着いたら2階建ての家が完全にぺちゃんこ、奥さんは無事だったそうですが、病弱だった親父さんが助け出されましたが亡くなったそうです。

川からの食料や資材などの物資も重機で届けられ始め、
専務(地震から毎日歩いて訪れているそうですよ)の号令で作業開始!

クレーンや重機を使いながら総勢70名でプレハブを建て始め、発電機や燃料、水タンクも設置し夜通し突貫で次の日には出来上がった。
プレハブも台船も水タンク、食料もそれぞれの取引先が課長の安否を確認して
「ぜひ使って!」と提供してきた物。
課長の人徳がここで現れていた事に感動した。

しかし、その後思いもかけないことが…

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