どこでもドアが欲しかった

離婚後、私たちを育てるために身体を壊すまで働いた母が急タヒ → 書類整理をしていたら…

time 2019/01/06

離婚後、私たちを育てるために身体を壊すまで働いた母が急タヒ → 書類整理をしていたら…

小学校の低学年時に父と母が離婚した。
その後父に会ったのは1度だけで(2年半後)その時
「こちらで暮らさないか」
と言われたけど
「お父さんは愛人と暮らすために私達を捨てたのよ」
と教えられてた私は、側にいた母にしがみつき泣きながら
「お父さん嫌い二度と会いたくない」
と断った。

母は私達を学校に送り出した後に仕事に出かけ掛け持ちで水商売と夜遅くまで働いていた。
貧乏で欲しい物も買ってもらえず弟とふたりで暖房の無い部屋(危ないから)で母が帰るまでお腹をすかせて震えていたりと辛かったけど、懸命に働く母を助けるため私も家事を覚えて、小6くらいからすべての家事をしてた。

高校の時
「不景気で給料が下がってその上家賃が上がったから生活出来ない、養育費もないし、無理しすぎて肝臓が悪くなった、このままじゃ弟も学校にやれない、悪いけど学校をやめて働いて欲しい」
と泣きながら言われた。
大会目指して頑張っていた部活に未練を残しつつも私が支えていかなきゃと母の言葉に従って働き、18歳までは10000円以外すべての給料、18歳からは母の紹介の水商売のお店で働き毎月20万を渡していた。

その母が心筋梗塞で急死した。
葬儀をしたいと母の身内(祖父母鬼籍)に連絡したけど
「香典送るわ」
って返事ばかりだったので、弟とふたり家族葬で送った。寂しい葬儀で母が可哀想だった。
ふたりだけになった不安から1週間ほどボケ〜と暮らした。

それでも、これから自分たちで金銭の管理もしなきゃと書類整理してたら…

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引用:素敵な鬼女様
画像出典:写真AC

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