どこでもドアが欲しかった

医者『お母様は末期癌です』20歳私(弟は施設に入るのか…?)→私「母さんは初期の膵臓癌だよ」弟「わかった」→結果…

time 2019/01/20

医者『お母様は末期癌です』20歳私(弟は施設に入るのか…?)→私「母さんは初期の膵臓癌だよ」弟「わかった」→結果…

翌日、職場の園長と主任に事情を説明した。
泣いていた。

すぐに他の先輩職員や同期にも
そのことを話してくれた。

私はまだ新入りで、関係を築けていないのに
「〇〇さんが良い子ってことがよく分かった!
いっぱい手伝うよ!」
「悩みのはけ口にして!」
と声をかけてくれた。

弟は中学時代に引き続き、
高校でもバスケ部に入りたいと言っていた。
それなりの強豪校ということも
志望した理由の1つ。
それもあって、
転校は絶対にさせたくないと思っていた。

そのことも職場の人たちに話すと、
「強豪のバスケ部ならきっと朝練がある
弟くんを起こして見送らせてあげたい
早出出勤になると、きっと〇〇さんの方が
早く出るから、弟くんを送り出せないよね
よし、〇〇さんは早出出勤無しで!」
みたいな感じで
すぐに勤務形態まで考えてくれた。

弟は私たちがついている嘘を信じて
毎日楽しそうに高校へ通った。

部活ももちろんバスケ部に入り、
先輩達の予想通り朝練があった。

母は日に日に弱っていった。
薬は治療というより緩和が中心。
弟には副作用で
一時的に弱っていると伝えていた。

5月の半ば、私は職場の人間関係に恵まれ、
母の弱っていく姿に苦しさがあるものの、
仕事は充実しており楽しさを感じていた。

弟には彼女ができた。
バスケ部のマネージャーで、可愛らしい子。

父の他界について、
身内以外のほとんどの人には
母も私も弟も心筋梗塞で
亡くなったと伝えていた。
みんながみんな理解してくれるとは
思わなかったから。

でも弟は彼女に本当のことを伝えていた。
それほど信頼している。
なんでもありのまま話せる相手だと
嬉しそうに言ってた。

仕事帰りにちょうど弟の高校を通る。
なっちゃん(弟の彼女)が私に会いたがっているとのことで、
何度か高校の近くで3人でおしゃべりした。

ある時なっちゃんが、
「次は弟くんのお母さんにも会ってみたい。
いつか一緒にお見舞い行けたら嬉しい。
どんな病気なの?」と聞いた。

弟は、母が入院していると伝えていたが、
病名は言ってなかったよう。

「すい臓がんだよ。末期の。」と弟が答えた。
「そうなんだあ…」と気まずそうに
下を向くなっちゃん。

なんで末期って知ってるの!?
私も気まずかった。

私は先に帰宅して混乱。
思い返してみても絶対に末期って言ってない。
あたふたしていると弟が帰ってきた。

私と目が合うとすぐに
「やっぱ末期だよね?w」と笑った。
なんで末期って分かったのか尋ねた。

入院し始めて約3ヶ月。
はじめは本当にいつか良くなると信じてた。

薬の副作用で苦しんでいるけど
徐々に良くなると信じてた。
でも様子は変わらないどころか、
むしろ弱っていってる。
これはおかしいと思って
自分なりに膵臓癌について調べてみた。

ネットにある末期の症状や
治療方法と同じように感じた。

点滴や母が飲んでいる薬の名前も
調べると緩和の文字が出てきた。
もう末期ガンで間違いないだろうと思った。

とのこと。

弟は淡々と話しながらも涙目。
私は隠していたことをひたすら謝った。

弟は、
そりゃあ先に教えてほしかった。
でも姉ちゃんの性格からして
教えるわけないよなって思う。

おかんは面白がってその提案に乗った
バカだなと思うし、
他の人もみんなきっと良い人だから
合わせてくれてたんだろ。

俺のこと考えてそうしてくれてたんなら
俺は何も言えないよ。

嘘はつかれるよりつく方が大変だし、
姉ちゃんよくできたなと思うよwおつw

って言って部屋に行った。

翌朝、
昨日はああ言ったけどさ、
俺のことなめすぎじゃない?
ある程度の覚悟はちゃんとできる。

姉ちゃんからしたら弟だけど、
一般的に見たらただの男だよ。
ただの男に中途半端な嘘はダメだよ

説教された

母や医者にも弟にバレたことを伝えた。
休日、なっちゃんも一緒に見舞いへ来てくれた。
母と意気投合し、楽しそうに過ごしていた。

なっちゃんは本当に良い子。
弟の3人目の彼女だけど、1人目と2人目のことを
思い出せなくなるくらい見た目も中身も可愛い。

夏になり、母は1人で上体を起こすこともできなくなった。
仕事を早めに上がらせてもらって
面会に行くことが続いていた。

弟も夕方の練習を休んで
面会に来ることが増えていた。
私はこの頃、眠れない日が続いていた。

そろそろ母が他界するんだろうなと思っていた。
覚悟はできている、って思っていたけど
実際は怖くて仕方ない。

夏休みになってからは、
弟は部活が休みの日は一日中母と話していた。

8月のある日、私は仕事、
弟は朝から晩まで面会の予定だった。

お昼過ぎに弟から職場へ連絡があった。
ちょうど子どもたちのお昼寝の時間で
寝かしつけている所だった。

慌てた表情で部屋に来た主任の表情で
母が亡くなったってすぐに分かった。

着替えたり、病院へ行く準備をしてる間に
主任がタクシー呼んでくれていた。

手を握って「いってらっしゃい」
って言ってくれた
その優しさに泣きそうになった。

タクシーの中でずっと手が震えてた。
覚悟してたから淡々としていられるはず
だったんだけど、無理だった。
めちゃくちゃ怖かった。

病院着いて、まず母に会いに行った。
すごく綺麗な顔。
だけど怖くて触れなかった。

落ち着いてからまた来ようと思って、
病室へ行った。
弟がワンワン泣いていた。

よく見たら弟が手にノート持ってて、
開いてるページが涙でびしょびしょ。

背中をさすりながら
ノート取ってよく見てみたら、
「〇〇くん、
生まれ変わったらお母さんと結婚しようね」
って書いてあった。
他のページにもメッセージがたくさんあった。

たぶん思いつきというか、
文章にするつもりなく
その時頭に浮かんだメッセージを書いたのか、
短文のものが何ページにもあった。

お母さん天然な人だったから
面白いのもあったけど
書いてることが思い出深いものばっかりで、
ページめくるたびに弟は声をあげて泣いた。

引き出しの中に私へのノートもあった。
1ページ目は長文で、
「〇〇ちゃん。
弟くんが生まれるまで
泣き虫でわがままだったね。

でも弟くんが生まれてから
急にしっかり者のお姉ちゃんになって、
お母さんは困惑しました。

あんなに泣き虫だったのに、
お父さんのお葬式以来もう何年も
泣いていないこと、お母さん知っています。

たまには泣くのも悪くないよ。
たまには泣かないと婚期逃すよ。
いつも頑張ってる〇〇ちゃんの涙は
みんな受け止めてくれるよ」
って感じで。

泣きそうになったけど弟の前で
泣きたくなかったから我慢した。
たぶん涙目なってただろうけど。

その日の夜には遠くに住んでる
親戚がたくさん来た。

みんな私や弟のことを褒めてくれた。
2人とも偉い!立派に育ってる!
って声掛けてくれて、
かわいそうって言われるよりも
そうして実際の頑張りを認めてもらえて
私も弟も嬉しかった

しばらくの間、祖父母や叔父叔母が
実家や宿泊施設に泊まり、
手続きなど色々と手伝ってくれた。

年に数回しか会わない人たちだけど、
私達のことを真剣に
考えてくれていることがよく分かった。

必要があればすぐにまた来るし、
なんなら引っ越して一緒に住んでもいい!
とまで言ってくれていた。

正直そこまで思ってくれているとは
思わなくてすごく嬉しかった。
何かあったらすぐ頼れると思うと安心した。

仕事は規定より長めに休みもらった。
それから弟が高1の間は
特に何事もなく過ぎていった。

弟の高校とは母の病気が分かった時から
こまめに連絡取ってたので、
色々と理解してくれていた。
なっちゃんも相変わらず可愛い。

社会人2年目になると、仕事は慣れ、
生活も落ち着いてきた。

弟は高校2年生。
進路を悩み始めていた。

就職か進学か。
理由はやっぱり金銭面。

私の貯金がそれなりにあったことや、
親戚一同が少しずつ出し合って弟の進学を
手伝ってくれると言ってくれたことから
たくさん話し合って、親戚に甘えることにした。

高校3年生になると、勉強での疲れや苛立ちを
私にぶつけてくるようになってきた。

なっちゃんと喧嘩している期間は、特に。
おふろの温度が熱すぎる、
肉より魚の気分だった、
俺の隣でアイス食うな、チー鱈を食うな、
朝ドラ観るな

今まで言わなかったちょっとしたことを
たくさん言ってくるようになった。

さすがに理不尽なことを言われると
私も怒ることもあった。

そんなこんなで秋には志望校A判定になり、
弟の気持ちにも少しの余裕ができたみたいで
ちょっとしたことで怒らなくなった。

なっちゃんは私の卒業した短大志望で
保育士を目指すとのことで
私は嬉しくてたまらなかった。

弟はなんとか志望校合格。
弟は泣いて喜んだ。

私は「みんなにお金出してもらうんだし
当たり前だね」って
めちゃくちゃ冷たいこと言った。

素直におめでとうって
言ってあげれば良かったなと思う。

卒業式は有給を取って出席した。
中学の卒業式と同じように、
退場で目が合うと照れてた。

そして今回も教室で最後のホームルーム。
周りはほとんど40代のお母さんだったけど
私のようにきょうだいが
来ているところもあって、
あんまり浮かなかった。

一人ひとりのスピーチでは、
高校では珍しく保護者が全員出席だったから、
なんと保護者も前に出て親子で
向かい合って子どもが話すという形だった。
これはかなり浮いた。

弟は「特にこの場で言うことはないかなw
まあ3年間ありがと」
って中学の時より淡白なスピーチ。

担任や同級生達は事情を知ってるので
「おいおいw」って反応だったけど
弟は気にせず切り上げた。

大学入ってからも
持ち前の明るさですぐに友達できて、
相変わらずなっちゃんとは仲良しで
ウェイウェイ大学生してる。

今日というか日付的に昨日は
弟の20歳の誕生日。

私は仕事、弟は大学のいつも通りの朝。
起きてきた弟に「あ、誕生日おめでとう」
と声をかけた。

そしたら、ん!って
ぶっきらぼうに手紙を渡された。

便箋4枚にたくさんの感謝が綴られていた。

姉ちゃんいなかったら俺はたぶんしんでた
何から何まで全部支えてくれてありがとう

お父さんよりお母さんより兄ちゃんより、
姉ちゃんが1番強くて逞しい人間だと思う
マジで1番尊敬してる

お父さんが亡くなった時も、
姉ちゃんがいてくれたから
お母さんも兄ちゃんも頑張って生きれたと思う

姉ちゃんおらんかったら
たぶんしんでたと思う
姉ちゃんはそれぐらいすごい生き物

こんなに色々あったのに
全然泣かない生き物も姉ちゃんぐらいだよ
無駄にプライド高くて頑固なとこは
ホントお父さんそっくりだよね

この辺で私はボロ泣きした
そして手紙を取り上げられた

弟は照れ臭くなったみたいで
その後手紙の続きは読ませてくれないまま
大学へ行きました。

夜はなっちゃんと会うから
ご飯いらないし帰らないと言われました。
誕生日を祝ってもらっているのでしょう。

以上です。

長々とありがとうございました。
弟からの手紙は10数年ぶりで

全部は読めていないけどパッと見
4枚の紙にびっしりと文字が書かれていて、
弟の文学面での成長を感じたのと

今まであんまり何も
言われることが無かったけれど
それなりに私の思いや努力は
伝わってたんだなと。

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引用:結婚速報
画像出典:GATAG

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