どこでもドアが欲しかった

自由人Aは大学時代の友人たちみんなの憧れだった。しかし…

time 2016/11/20

自由人Aは大学時代の友人たちみんなの憧れだった。しかし…

友人Aは俺らの大学時代の友人。
Aは定住所を持たなかった。誰かしらの家に居候しては、飽きたら別の家に移っていた。
Aはスナフキンのような旅人でもあった。
ほとんど大学には来ず、飲み会とバイトに精を出し、バイト代が溜まるとふらっと海外へ出かけまたふらっと戻ってきて山ほど土産話を聞かせてくれる。
行動力があり、アジア各国の政治状況に明るく、世界を知っているのに気取らず酒の席ではケツ毛を燃やしたりと気さくなAは、俺たちの憧れであり、一種の理想の体現者だった。

しかし俺たちも歳を取り、卒業して就職。
Aは変わらず自由人であり続けた。
社畜になってからも、いや社畜だからこそ一層、俺たちはAに憧れた。
Aが帰国するたび、Aを囲んで飲んだ。各国の土産話を聞かせてもらい、
「好きなだけいろ」とAをアパートに泊めた。

だが20代後半ともなると結婚する奴がちらほら現れた。


多くの人間が、結婚後にAを新居へ呼んだ。
海外生活が長く、食事中に手鼻をかんだりと、Aは衛生観念が生粋の日本人と少し違った。
またアジアでの買●話などを、陰でしてくれりゃいいのに嫁の前でも隠さなかった。
Aはたいていの嫁に嫌われた。
そこで平謝りする男と、
「俺の友達に失礼だ!」と怒る男に二分された。
Aは夫婦喧嘩には委細かまわず、自分の選んだ家で好きなだけ寝泊まりした。
3人の嫁が実家に帰り、そのうち2人が離婚した。

俺は喪男ながらも30代でなんとか結婚した。
結婚後Aが帰国し、いつものように帰国歓迎会で飲んで、Aのシモ芸を堪能した。
Aは「泊めて」と言ったが、俺は断った。
しかしAは無理やりタクシーに乗りこんでついてきた。
俺はけしてAが嫌いではなかった。
だが俺は喪男ゆえ、なんとしても離婚したくなかった。
結婚してから意識が変わったのか、Aに対し以前ほどの憧れもなくなっていた。
嫁が妊娠中で、腹の子が女の子とわかっていたせいで、11~12歳の娘を買●した話にも嫌悪を感じた。
俺は自宅とは離れたコンビニ前でタクシーをおり、フェイント&ダッシュでAをまいた。
Aはその後、別の友達(独身)の家に泊めてもらったようだ。
Aは怒っていなかったらしいが、その泊めた友達が俺を
「友達甲斐のない奴」と怒り、以後飲み会にあまり呼ばれなくなった。
Aはそいつの家に2ヶ月居座り、また出国していった。

その後…

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