どこでもドアが欲しかった

亡くなったと聞いていた旦那の元奥さんが生きていた。ある日、息子が「お母さんに会いたい」と言い出したので…

time 2016/11/23

亡くなったと聞いていた旦那の元奥さんが生きていた。ある日、息子が「お母さんに会いたい」と言い出したので…

わたしは20台前半で一回り年上の旦那と出会いました。(既に離婚済みで元旦那ですが、旦那と表現します) 

出会って半年ほどで交際をはじめ、さらに半年後で結婚を前提にしてもらえないかと簡単なプロポーズをうけ、4歳の息子がいる事を打ち明けられました。 
「妻とは死別で、息子はほとんど覚えていない。実は生まれは田舎だが、思い出すのが辛く、両親をつれて上京し、今では息子を見てもらいながら四人で生活している。」 
と言われました。そこから息子にも会うようになり、そのさらに半年後、つまり付き合って一年で同居の形で結婚しました。 
私には両親がなく、兄弟もないので、誰にも反対はされませんでした。 

旦那は「母は妻亡き後息子を育ててくれたから、それがとられてしまうようでさみしいから、辛く当たることもあるかもしれないが許して欲しい。ただ、耐えられないほどなら自分にすぐに伝えてくれ」とも言いました。

義母はここのテンプレをすこーし薄めた程度のいびりではありましたが、どちらかというとメンタルにくるようなことを言ってきました。
主に前妻さんとの比較です。容姿、家事能力、稼ぎ、全てにおいてわたしを否定しました。
息子もそんな祖母(義母)の言葉を聞いて育ったからか、私にはほとんどなつきませんでした。 

旦那には、伝えても聞いてくれるだけで、所謂鳩。エネだと気付いたのは1年ほどたってからでした。
息子は懐かない、旦那は使えない、義母はうざい。子梨だし、もう別れようかなと思っていた矢先、息子が「お母さんに会った」というようになりました。

毎日母の遺影に手を合わせているからか、義母に母の話をされるからなのか、幻想がみるようになってしまった。そう思い、義母にはじめて強い語調で前妻と私の比較を息子に言うのを辞めるように言いました。

義母はむっとしましたが、とくになにもいわず、それからその話はしなくなりました。
しかし影で、私が母を◎したんだと言うように。
息子はますます怯え、毎日母を見たと言っては私から逃げ回るようになりました。
旦那はそのころ出張三昧で家にはおらず、私は途方に暮れました。

毎日息子にべったりの義母が、ある日腰を悪くし検査入院となりました。それまでほぼ会話もなく、意思疎通の取れない義父と息子のいる家に帰ると、(パートをしてました)
義父は気まずいのかどこかへ出掛けました。
そこで息子は、わたしに話しかけました。すごく遠くから、怯えるようにではありましたが、それが嬉しくて、どうしたの?と笑顔で答えました。

すると「お母さんに会いたい」と言うのです。私は困りました。
しかし、少しでいいから公園にいきたいという息子のために、公園にいくと、そこには死別したはずの母の姿が。 

実は、彼女は死んでなんかいませんでした。
義母にいびられ続けた彼女は、エネな旦那と別れ、娘(息子の姉で、二つとし上)と逃げようとした矢先、息子を妊娠していることが発覚。
(行為に関しては、ほぼ強制的にされていたようです)

息子と知った義母がはっちゃけ、生まれるまではいびりも収まっていたようですが、さぁ生まれてみるとまたいびり再開、さらに女なのが気に入らないのか、娘と明らかに差別するように。

痺れを切らした彼女が別れると宣言すると、なんと娘を人質にとり、息子を置いて今すぐ出ていけ、出ないとムスメを◎す!と喚いたそうです。

義母は最低な人間だが、息子を大事にはしていたので、彼女はなくなく娘を連れて家をでたそうです。
そして一週間しないうちに旦那たちは引っ越し、行方しれずになってしまったとか。
私は泣きました。
そして、息子を返してほしいと懇願する彼女に手を貸すことにしました。

義母の腰は腫瘍による痛みで、手術が必要になりました。
期間は一ヶ月弱、わたしはその期間にDQ返しをすることに。

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