どこでもドアが欲しかった

小学生の時、祖父母の会社が倒産。それから私たちの家族は修羅場に…

time 2016/11/24

小学生の時、祖父母の会社が倒産。それから私たちの家族は修羅場に…

父方祖父母は自営業をしていた。 
私の父は3人兄弟の次男で、叔父(父兄弟の長男)と一緒に祖父母の下で働いていた。
この時、我が家と叔父一家は祖父母とは別居。 

ここまでが前提。

私が小学生の低学年頃、借金が返せなくなり祖父母の会社が倒産する事になった。
借金の額は大きく、祖父母が住んでいた古くて大きな家も売る予定だった。
が、
「住み慣れた家を手放したくない」
という祖母の言葉に次男の父がはっちゃけ、
「俺が借金を返す!」
と祖父母の借金を全部背負い込んだ。

その年の冬休み、私は何も知らされず従兄弟家族に旅行に連れて行ってもらった。
旅行から帰ってきたら家族だけで住んでいた一軒家ではなく、祖父母の家に連れて行かれ、暗い顔をして生まれたばかりの妹に母乳をあげている母に
「今日からここに住むから」
と言われた。
私達の住んでいた一軒家は借金返済の為に売られた。

お母さんの匂いがする綺麗で落ち着いた家から、お線香の匂いがする古くて怖い家に突然住むことになったのが私の最初の修羅場。

父は借金返済の為に別の自営業を始めた。
この資金でさらに借金が増えた。
母も仕事を手伝う事になり、二人共私とはあまり話すことが無くなった。
365日仕事で、家族で出かける事は無くなった。夏休みや冬休みは私も裏方で手伝いをした。
家族で休みを楽しんでる友達や従姉弟達がとても羨ましかった。
でも、私が我侭を言えば親が困る事が分かっていたからできるだけ我慢していた。

祖父母と暮らしている間、母は祖母から家の事や仕事の事、子供の躾の事や妹のアレルギー(甲殻類アレ)の事などで嫁いびりにあっていたらしい。
その上祖母は、妹にアレルゲンを与えて2回殺しかけている。
顔を真っ赤に腫らし、体中が斑模様になった小さな妹が泣き叫んでいる姿を私は今でも覚えている。
とても怖かった。

その後…

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